リセットと癒し

作者 佐藤宗翠

私が茶道を始めたきっかけは、茶道を始めた友人が身近にいて、その友人が茶道を始めてからどんどん輝き始めたように見えたことでした。こんなに人を変える茶道ってどんなものなんだろうと興味がわいてきたのでした。

その友人に茶道教室の見学に連れて行ってもらい、襖を開け茶室に入った瞬間を今でも鮮明に憶えています。

日本人といえども、慣れない畳、慣れない正座、持ち方すらわからない扇子。

私はあまりの緊張で右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出してロボットのように歩いていました。歩いた先には迫力ある先生がドシっと座ってらっしゃいました。

そんな入室でしたが、和菓子、お抹茶などをいただき、その日のうちに魅せられ、迷いなく入会しました。


私は子供の頃から習い事はたくさんさせてもらい、社会人なった後も自分でいろんな趣味に挑戦してきました。いろんなことをやってきた自負はあるのですが、1つとして長く続けられたものはありませんでした。

昔からの友人達は、また茶道もすぐに辞めるのだろうと笑っていました。

しかし、その予想に反し、長く楽しみ続けるものになり、仕事でも茶道をさせていただけるほど喜んでいただけるようになり、今では台湾で茶道教室をさせていただけるようになりました。

では、なぜ茶道を続けたいと思ったのか。
和菓子が美味しいから…?
お抹茶がいただけるから…?

私が最初におもしろいと感じたのは

稽古中にお点前さんを見ていると、みんな同じ動きをしているのに、一瞬で空気を変える人、静かな気持ちにさせてくれる人、感動させる人など、それぞれの雰囲気や輝きがあると感じたことでした。

また実際に自分が点前座に座ってみると、自分に自分の心を見せられているような感覚がありました。何度も点前を繰り返していると、落ちついている日、雑な日、などあることに気づき始め、点前が自分を見せる鏡のように思えたのでした。

そして、実は日常の中で、いろんなことを感じていて、自分に影響を与えていて、それが指先にまで現れるんだと気付いていきました。

日常のいろんな気持ちを切り替えて、お点前の瞬間はお点前に集中しようと思い、集中を意識していると、稽古のたびに自分がリセットされて、良い状態を保てるようになっていきました。

また稽古では茶室に携帯を持ち込んではいけませんでした。

私は携帯を常に持ち、仕事中も仕事以外でも携帯を手に持っていることが当たり前になっていたので、携帯がない状態に最初は慣れませんでした。しかしそのうち、携帯を手放している稽古時間が自分を癒す大事な時間となっていきました。

千利休は茶室のにじり口をわざと小さく作り、当時の武士に大切な刀を茶室に持ち込ませないようにしました。茶室の中に和をもたらす仕掛けだったと聞いたことがあります。

その仕掛けを現代の私たちに当てはめると携帯なのかなと思います。

茶室に入る時は携帯を手放し、少しの間、自分を休ませる。そして大切に点てられたお抹茶をいただき、心身を癒す。

弟子の中には稽古がリセットの時間になると言ってくれる人もいます。

稽古が癒しだったりリセットになることは、弟子も私も同じようです。

翠会の弟子達は皆、稽古が終わる頃にはエネルギーを補充して、輝きが増しているように見えます。

また一人一人皆、茶道を習い始めた頃より、さらに輝いています。


・・・

重置與治癒

我開始茶道的契機,是有個朋友開始學茶道,我看見她開始變得光彩照人。我對於能改變人的茶道產生了興趣。

朋友帶我參觀茶道教室,我推開襖門進入茶室那一刻的記憶,至今依然鮮明。

即使是日本人,不習慣榻榻米、不習慣正座、我甚至不知道扇子的握法。 我因為太緊張,右手和右腳、左手和左腳都同時出動,走路像個機器人。在前方坐著一位氣魄非凡的老師。

雖然進入教室時情況如此,但我品嚐了和菓子、抹茶等,當天就被吸引住,毫不猶豫地加入了。

我從小就參加過很多課程,成為社會人士後,也嘗試了各種不同的興趣。我為自己嘗試過很多事情而感到自豪,但從未持續下去。 從前的朋友們笑著說,我也會很快停止學習茶道。

然而,與預期相反,我持續了很長的時間,並享受著,我也很開心可以在工作中進行茶道,現在我甚至能夠在台灣開茶道教室。

那麼,我為什麼想要繼續學茶道呢?
是因為和菓子的美味嗎⋯⋯?
是因為能享用抹茶嗎⋯⋯?

我最初感到有趣的是,在稽古看著茶道点前時(*註),雖然大家做的都是同樣的動作,但有些人能在一瞬間改變氛圍,讓人靜下心來,讓人感動,每個人都有自己的氛圍和光芒。

而且當我實際坐在点前位置上時,我感覺到自己的心彷彿展現在我面前。一遍又一遍地重複点前,在平靜的日子裡觀察到自己是穩定的;在雜亂的日子裡覺察到自己的馬虎。我意識到,点前就像是一面鏡子,讓我能看見自己。

此外,在日常生活中,我意識到許多不同事物對自己產生的影響,甚至會顯現在指尖上。

我試著在各種日常事務中切換感受,在点前的那一刻專注於点前,集中著意識,每次的稽古都讓我獲得重置,保持良好的狀態。

另外,在稽古中,不能將手機帶進茶室。

我習慣隨身攜帶手機,無論是在工作中還是在工作之外,所以最一開始,我不習慣沒有手機的狀態。然而,隨著時間的推移,我意識到放下手機的稽古時間,成為我治癒自己的重要時間。

千利休特意將茶室的門口設計得很小,以防止當時的武士將他們最重要的刀帶入茶室。聽聞這是為了給茶室帶來和諧。 我想,這樣的裝置對現今的我們來說,就是手機了,進入茶室前放下手機,讓自己休息片刻。然後品嚐精心刷製的抹茶,讓身心感到治癒。

有些弟子說稽古是重置的時間。

稽古是治癒或重置的時刻,弟子們和我都是如此。

翠会的弟子們,在稽古結束時看起來都充滿了活力,閃耀著更加明亮的光芒。

而且,他們一個個都比開始學習茶道時更加閃耀了。

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*註:稽古——在日本傳統技藝中,常以「稽古」表示練習,有著向古代學習,用以鍛鍊現在的意涵。点前——刷茶儀式。

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